軽井沢のペンション
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日本のペンション

 日本で最初のペンションは、昭和45年群馬県草津町の中沢ヴィレッジにオープンした『綿貫ペンション』(オーナーは綿貫時雄氏)です。草津高原にホテルヴィレッジを中核とした温泉保養地「中沢ヴィレッジ」が建設され、中沢ヴィレッジの副社長中沢晃三氏が視察のためにドイツを訪れました。その際、ウィースパーデンでペンションに宿泊した中沢氏は、日本にもペンションをつくりたいと思い立ち、綿貫氏を説得し、中沢ヴィレッジにわが国第一号のペンションが誕生しました。

 開業当時の『綿貫ペンション』では、食事は朝食のみを提供するヨーロッパの「B&B」スタイルをとっていました。夕食は歩いて二〜三分のところにあるホテルヴィレッジでとってもらい、夫人が一人で運営できるように省力化を図りました。けれど、思いがけずこれが宿泊客には不評でした。たとえば
「冬の吹雪のなかにわざわざ外に出かけていくのは面倒」
とか、
「ホテルで食事をすると高くつく」
などの苦情をいわれました。そこで「いつも食べているようなものでいいから夕食を出して欲しい」という宿泊者の希望をくんで夕食を出すようになったのです。

 わが国初のペンションということもありますが、従来の日本の旅館のサービスに慣れているお客に対し、ペンションのコンセプトや都合ばかりを押しつけるわけにもいかず、それ以降夕食の提供はペンションの常識となっていきます。

 その後、昭和48年にペンションという宿泊施設をシステム化し、わが国に広く普及させる目的で、ペンション・システム・デベロップメント(以下P・S・Dとする)なるペンション供給会社が設立され、これをきっかけにペンションは大きくその数を伸ばしていきました。

 P・S・Dは日本長期信用銀行や新日本製織などの出資でつくられた企業で、ペンション村の用地の確保、建設から、オーナーの募集や教育、さらに融資斡旋などまで含め、一種のフランチャイズ制ともいえる経営システムで数多くのペンションを開業させました。代表的な例では、八ヶ岳山麓の原村、菅平(共に長野県)のペンション村があります。

 ペンションが急増していった時代は高度経済成長の末期にあたり、人々の生活水準が大幅に向上し、洋風化がますます進んでいった時代です。また、海外旅行の経験者が増えたこともあって、従来の画一的なホテルや旅館、あるいは民宿などの宿泊施設にあきたらなくなった人々が、ペンションという新しい洋風の宿泊施設に注目しだしました。

 日本ペンション連盟の調べでは、平成六年のペンション数は3172軒、市場規模は420億円です。ホテルや旅館、あるいは民宿などには及ばないまでも、立派に宿泊施設のひとつとして認められるようになりました。

 昭和45年に第一号のペンションができてから、47年までに13軒のペンション。そして、48年にP・S・Dが設立されて、ペンションの事業化が本格的となり、それ以後、ペンション数は急速に増えていきました。

 P・S・Dの設立から15年も経たないで2000軒を超え、その後も着実にその数を伸ばし続け、昭和62年までは二桁の伸び率を記録しています。その後、伸び率は鈍化しましたものの、依然増加傾向にはあります。ただ、バブル末期の平成二年頃は売却されるペンションも多くなり、廃業ペンションが増えたため一時的に減少しています。こうしたペンションの成長過程をみますと、

昭和45年〜48年 21軒
昭和49年〜52年 344軒
昭和53年〜56年 1033軒
昭和57年〜61年 2150軒
昭和62年〜現在 約4000軒

となります。誕生からわずか30年間での急成長ぶりには目を見張るものがあります。
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